オーウェン・マナー

 あれはアウルとの契約から3452年目のこと。凍土の地として知られるホロトト地方でも、最も冷え込む季節だった。

 

 

 針葉樹すら銀色に凍りついた森の中で、降り積もった柔雪をぎゅうぎゅうと踏みしめながら歩いている人物が三人。魔術師ウィストールとその使い魔アウル、そしてこの地方で雇った案内人の若者だ。

 

 アウルは背の高い大人びた少年の姿をとっているが、その正体は「黄金の昼下がり」という正式名称を持つ魔物である。概念が形を持ったものであるという性質上、本来は肉体ありきの寒さなどへっちゃらであるはずだ。しかし、主人の荷物持ちもかねて人間の姿をとっている今は形に引っ張られているのか、せっかくの美しい少年の顔をきゅうっと歪めて白い息を吐いていた。いつもは紙のように白い肌も、すっかり赤い。

 

「うう、寒い。ぽかぽかのお日さまが愛おしいよ」

「がんばって、アウル。きみは最強だろ」

 

 ウィストール自身も雪に体力を奪われて余裕がないので、励ましが雑になってきている。アウルは泣きそうな声で呻いた。その言動が今の姿に見合わないせいで、「アウルは従者である」としか説明を受けていない案内人は、山猫のような顔を引きつらせている。しかし主人であるウィストールはアウルの態度に慣れきってしまっていたため、案内人・エリクの引き気味の目線に気づかなかった。

 

 

 三人は、「雪解けの花」の群生地を目指していた。

 雪解けの花は、この地方で冬季の数日間のみ花開くという珍しい植物だ。ウィストールとアウルは、その花が開いたときにのみ収集できる朝露を魔術素材として収集するためにこの地を訪れた。

 

 エリクとは、花の群生地について調査しているときに村役場で出会った――ネット環境はもちろん図書館もない寒村の中で植生について情報収集できるのは、役場か集会所と相場は決まっていた。植生について尋ね回っていたウィストールたちの話を聞きつけ、居合わせたエリクの方から声をかけてきたのだ。

 彼曰く、雪解けの花は険しい山の奥に群生しているという。土地勘のない素人だけではまず見つからず、途中で凍死するのがオチだろうと。二人が困った顔をすると、エリクは「俺をガイドとして雇え」と熱心に売り込んできた。ガイド代としてはなかなかな高額を提示されはしたが、長年の経験上、彼が悪い人間ではないとわかっていたので案内を頼んだのだ。

 

 エリクがてきぱきと案内役を務めてくれていたおかげでここまでは何事もなかったが、徐々に天候が崩れ始めた。

「まずいな、吹雪いてきた」

 エリクが言う通り、雪をのせた風は勢いを増して体に吹き付けてくる。

「あんた、魔術師なんだろ。吹雪を止めたりできないのか」

 ウィストールはひいひいと白い息を吐きながら「魔術はそんなに万能じゃないよ!」と叫ぶ。

「でも、空間を温めることならできる。せめて風をしのげる場所が見つかればね!」

 

 しばらくの間、三人は風をしのげる場所を探して彷徨ったが、いよいよ目も開けていられないほどに冷たい風は勢いを増し、視界は白んでゆく。ウィストールの貧者な体は、ひときわ強い突風に簡単になぎ倒されてしまった。そのまま立ち上がれずにいると、アウルがその体に見合わぬ怪力で雑に引っ張り上げてくれた。なにか言っているらしいが、よく聞き取れない。いよいよまずい。

 

 はぐれてしまわないように固まろう、とエリクに提案しようとした矢先のことだった。

 

 奇妙なことに、ふっと風が止んだ。それは唐突な無音の世界だった。凍りかけていたまぶたをゆっくりと目を開くと、まばらな針葉樹の向こうから日が差しているのが見える。

 三人は何も言わぬまま、釣られるように日の差す方へと歩んだ。

 

 急に視界が開ける。一面の銀雪に日が反射して眩しい。徐々に光に目が慣れたころに、それは突如として眼前に現れた。真っ白な雪の中に、ぼんやりと霞む巨大な黒。よく見ればそれは、鉄柵に囲まれた石造りの屋敷だ。逆光気味に屋敷は異様に暗く、そして重苦しい圧を感じるほどに堆く聳えている。屋根の先までを視界に入れるには、体を反らして見上げねばならなかった。

 

「こんなところに、いきなり屋敷……?」

 訝しく思って凝視するウィストールをよそに、エリクは鼻をすすりながら「助かった!」と息をついた。

「またいつ吹雪くかわからない。いったん、中で休ませてもらおうぜ。体をあっためないともたない」

「君はこのお屋敷を知っているの?」

「いや、知らないけど。まあ見ず知らずとはいえ、凍えそうな旅人を放り出すようなことはしないだろ。もしそうなっても、そこは雇い主のあんたがなんとかしてくれよ。交渉材料に、金か何かあるだろ」

 

 確かにいざというときにお金に換えられそうな品はいくつかあるが、ウィストールが心配したのはそういったことではなかった。

 そもそも静かすぎて、人の住んでいる気配を感じられない。廃墟の可能性が高い。凶暴な野生動物が住み着いている可能性だってある。

 しかし、エリクはもう決めてしまったのか屋敷へ向けてずんずん歩いていってしまっているし、アウルも歓声をあげてそれについていっている。凍りついた鉄柵は正面が施錠されていなかったらしく、二人は勝手に開けて入ってしまっている。

 

「ああもう……、待ってよ二人とも」

 ウィストールは二人を追って歩みを進めながらも、つい目は建物を観察してしまう。

 まるで何かを見張るように四方に尖塔のある出で立ちは、要塞か城のようにも見えた。石壁の彩りのない灰色と、汚れた黒で形取られたその様相からして歴史の重みすら感じる。

 ウィストールは、あらゆるものを記録するという自らの性(さが)から、ついつい屋敷の細かな造りや装飾までにも目を凝らした。

 

「ん……」

 すぐに違和感を感じ、首を傾げる。

 

 この建物は高さがあり、窓の数が多い――この地方ではまだ目にしたことのない建築様式だ。この地方では寒さ対策として、かなり壁を分厚く造る。そのデメリットとして建物全体の重みが増すので、あまり高い建物を造れず、強度の問題から高い位置に窓を造ることもできない。外側から重みを支える仕組みを考案すればそうした建築も可能だろうが、未だこの世界の建築技術はその域に至っていなかったはずだ。

 

 最新鋭の技術? いや、それにしては外観はずいぶん風を浴びて風化している。ざっと見積もっても築三百年はくだらないだろう。逆に遺跡のオーパーツのような、すでにこの地では失われた技術を目の当たりにしているのだろうか?

 

 そもそも、ところどころに散りばめられた宗教的レリーフも、この地方周辺の文化とはそぐわない。むしろ共通点の方が見つからないほどだ。

 

「――……」

 足を止めて考え込んでしまったウィストールを、エリクが屋敷の大きな扉の前から「おい、早く来いよ!」と呼ぶ。ウィストールはいったん思考を止めて二人の元へ向かった。

 

 ウィストールが合流すると、エリクは少しそわつきながら、「じゃあ、いくぞ」と屋敷の中に向けて大声で呼びかける準備をする。ところが、エリクの呼び掛けを待たずに扉はゆっくりを開き始めた。

 

「――どのような御用向きで」

 

 扉の内側から、しわがれた声が響く。扉を開いたのは、ロングテイルコートを着た老年の男だった。目はこちらを射抜くように見ているが、口元には薄い笑みを貼り付けている。おそらく屋敷の使用人だろう。

 エリクは気圧され気味になりながらも言う。

「さっきの吹雪で、すっかり体が冷えちまったんだ。少しの間だけでいいから、中で休ませてくれないか」

「それはそれは、大変な思いをされましたね。ええ、かまいませんとも。ちょうど暖炉に薪を焚べ直したばかりです」

 

 男は大きく扉を開き、三人を招き入れてくれた。

 吹き抜け構造のエントランスホールが一同を出迎える。照明はついておらず窓から差し込む日の明かりのみで薄暗いが、外より空気が暖かい。男の言葉のとおり、ホールの右端には立派な暖炉があり、薪がぱちぱちと小気味良い音を奏でている。その熱を楽しめるよう、すぐ前には設えの良いソファが置かれていた。

 すっかり体が冷え切っていたので、それを見たときには気分が上がり、それまでの緊張も不安も消えていた。

 

「親切にどうもありがとう。僕は魔術師のウィストールです。あなたは……」

 男は襟を正して深々と腰を折った。

「わたくしは、このお屋敷でスチュワードを務めるスチュアートと申します。まぎらわしい名ですので、みなわたくしをS・Sと呼びます。どうぞウィストール様もお気軽にそうお呼び付けくださいませ」

「いいあだ名だね。そう呼ばせてもらうよ」

 アウルが腕をつついてきて、「スチュワードって何?」と小さく問うてきた。ウィストールも小声で「たしか、召使たちのまとめ役で、屋敷の管理人のようなものだよ」と答えた。

「ふぅん……」

 アウルは自分から聞いてきたくせに、上の空気味だ。なぜか落ち着かなげに縮こまってそわそわしている。てっきり、言葉遊びが好きなアウルは大喜びしそうな名前だと思ったのだが。人の名前で笑ってはいけないと叱る心算まであったのに。

 

 外からごうごうと風の唸る声が聞こえる。再び風が強まってきたようで、窓の外は真っ白だ。

「ほらな、また吹雪いてきた。あのまま外にいたら危なかったな」

「そうだね」

「…………」

 

 こんなときに真っ先にはしゃぎそうなアウルが、まるで借りてきた猫のように硬直したまま、金の瞳をあちこちに走らせているのに気づいた。

「アウル、どうかした?」

 アウルはごくりと喉を鳴らし、ウィストールの耳元で囁いた。

「――ウィズ、まずいよ。早くここを出よう。ここはオーウェン・マナーだ」

「オーウェン・マナー?」

「どこにでもあって、どこにもない場所。迷いびとの屋敷、迷い家。呼び方はいろいろあるけれど、ともかく『人ならざるものの屋敷』さ。きっとここは……ただの人間であるエリクや、元人間であるきみには良くないものだ」

 

 ウィストールは驚いてアウルを見つめた。アウルの日差し色の瞳は真っ直ぐにこちらを見つめ返している。普段こそ気ままなアウルが強張った顔をしているので、彼が感じている危険性がよく理解できた。

 

 そして同時に、屋敷の建築様式を見たときから感じていた違和感に納得がいく。アウルの言う通りなら、この屋敷――オーウェン・マナーとやらは、ホロトト地方には存在しない。だがなにかの条件が奇跡的に重なって、たまたま自分たちの前に姿を現したのだろう。ある意味で『めったに出会えない』だろうこの屋敷に興味がなくはないが、アウルがここまで真剣に警告するのだから素直に従った方が良さそうだ。

 

 すぐにここを去るためにエリクへ声をかけようとしたそのとき、いきなり背後から「お客様」としわがれた声で呼び掛けられて飛び上がった。いつの間にかS・Sが背後に立っていた。心臓を暴れさせているウィストールをよそに、S・Sは「いかがなさいましたか」と問うてくる。

「い、いや、あの。僕たちはもう、おいとましようかなあと!」

「そんなことをおっしゃらず。エリク様はさっそく暖炉の前でくつろいでらっしゃいますよ」

「ええっ」

 見ればS・Sの言う通り、エリクは軽く荷を解いて、暖炉の前の椅子に体を投げ出している。顔はすっかりとろけてバターのようだ。ウィストールは彼の順応っぷりに半ば感心しつつも、アウルに目配せして回収を命じた。アウルはうなずいてすぐさまエリクの元へ駆け出した。

「こらっ、頭空っぽのオイスターめ! 勝手な行動をするな!」

「は!? 何をするんだ、人がせっかくくつろいでいるところを!」

 

 二人がやかましくやりあっているのを遠目で見ていると、おもむろにS・Sが声をかけてきた。

「あなた様は、何かを探してここへいらしたのでは?」

「ん? うん、そうだね。雪解けの花を探しにね」

「いえいえ、もっと長く探しているものがあるでしょう。あるいは、探している人と言い換えてもよいですな」

「え……」

 どきりとして思わずS・Sへ目をやる。彼は目で射抜くようにこちらを捉えたまま、口角だけを吊り上げて笑んでいる。

「この屋敷はあらゆる時代、あらゆる場所へと通じるのです。きっとあなたが探し求める方とも出会えましょう」

「――いるの? ここに、ミラが?」

 

 その名が口をついて出てしまった。三千年間探してきた親友の名が。

 

 そう――いつでも旅の一番の目的は彼の行方を追うことだった。遠い遠い昔、自分やアウルと同じく人でない身であることに悩んでいた親友。ともに長い時を分かちあえると思っていたのに、ある日、何の前触れもなく姿を消してしまった彼。

 

 彼を思いながらふと吹き抜けの二階を見上げた時、よく似た背の高い誰かがこちらを見下ろしているのに気づいた。あっと声をあげ、目をこすってもう一度見上げた時には、もう誰かはいなかった。

 

 こんなところに彼がいるはずがない。

 そう考える理性とは裏腹に、直感めいたものは「きっとここにいるに違いない」と囁きかけてくる。

 ――そうだ。三千年以上、世界中を観測しながら彼を探してきたのだ。それなのに何の情報すら掴めないことの方がおかしい。こうして世から隔離された特殊な領域にいる可能性だって否定できない。

 

 一度芽生えた思考は、癌細胞のようにじわじわと侵食して離れなかった。

 屋敷についてさらに詳しく聞こうとしたが、もうS・Sの姿はどこかへ消えていた。

 

 ウィストールは、みゃあみゃあと言い合っているアウルとエリクの元へ割って入った。

 

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