ダンス・ウィズ・トート
あれはアウルとの契約からちょうど2000年目のこと。始まりはパルヴァヴィーラの自宅からだった。
目覚めてすぐに眼前にあったのはきらきらした金の円環がふたつ。金円の中に黒がぽっかりあいていて、ドーナツみたいだ。寝起き特有のぼうっとした意識で、しばらくそれと見つめあっていた。そしてようやく、それが額がつくほどの至近距離で寝顔を覗いていたアウルの目だったと気づく。初恋の少女の顔をした彼は、可愛らしい声で始まりの挨拶をする。
「おはよう、ウィズ。いい昼下がりだね」
「……んぇ……昼下がり……?」
ベッドサイドへ首をめぐらすと、置き時計の針はもう午後過ぎだということを示していた。
「……ああ、しまった。一日がほとんど終わってしまった……」
「何を言っているんだいウィズ! 窓の外を見てごらん、太陽があんなにきらきらしているよ! まだ今日はたっぷりある! お茶にしようか? ううん、それよりもこのまま日向ぼっこをしよう。素晴らしい日になるとも! なんたって今年の僕らは二千年目なのだから!」
アウルはそう言いながら、さっそくウィストールの胸元に頭を擦り寄せて目を閉じている。
アウルは「永遠」という概念を持つことから死ぬことがないため、自他ともに認める最強の魔物である。しかしその自堕落さからたびたび「怠惰な永遠」とも揶揄されていた。今日のような用事のないぽかぽか陽気の日などは、何時間でも日向ぼっこしかねない。ウィストールもどちらかというとのんびりな方だが、アウルとともに過ごすことで、どうにも彼の自堕落さが移っていけない。
特に今年はアウルとの契約からちょうど二千年目という節目の年であるからか、アウルは毎日のように何かしらのワガママを言う――「二千年目なのだから、今日はホールケーキを注文しよう!」「二千年目なのだから、洗い物なんて免除されるべきじゃないかな?」「お風呂上がりのアイスは2本食べてもいいことにしようよ」「シャツの一番上のボタンは留めなくてもいいと思うんだ」「眠る前にこの長編小説を読み聞かせておくれよ」……「だって、二千年目なのだから!」……リビングルームはずっとパーティーの飾り付けがされたままだ。そりゃ、自分だってアウルとの契約を結んだ十月六日には、お互いのためにも記念のお祝いをしたいと思っている。けれど十月まではあと五ヶ月あるときた。アウル曰く、「なんでもない日こそを楽しくいよう、バンザーイ!」なのだそうだ。
「とりあえず、何か食べようかな……」
ウィストールは、ぼさぼさになった長い金髪をかきまわしながら起き上がった。アウルはそんな主人にぴったりと張り付きながら歌うように言う。
「冷蔵庫にプディングがあるよ、昨日作っておいたのさ。今日という、素晴らしい二千年目のなんでもない日のためにね!」
「ふふ、今日もご機嫌だね」
「えへへ!」
「ふふふっ」
そんな、普段よりも増し増しで上機嫌だったアウルだったが、それは二十秒後に一変することになる。
冷蔵庫からプディングを取り出した二人は、リビングルームの食卓ににこやかに座り――ふと異変に気づき飛び上がって叫んだ。
「「ワ――――――ッ!!!」」
食卓に明るい陽の光を取り入れる大きな窓の前。真っ黒な喪服を着た小さな少年がいた。あまりに静かに佇んでいたので、そばに座るまで全く気がつかなかった。ウィストールは少年がなんの前兆もなく家にいることにも驚いたし、アリソン姿のアウルが野太い声で叫んだことにも(アリソンってそんな声も出たんだな……)と二重で驚いていた。
「なんでお前がここにいるんだ、1番! せっかくのなんでもない素晴らしい日が、お前の陰気な顔で台無しじゃないか!」
アウルがそうわめくが、少年は表情一つ動かさない。
彼は、「喪服の少年」。
彼もまた、世界を破壊可能な力をもつ7つの存在のうちの一人。彼の冠するナンバーは1番――いつから存在するのか誰も知らないほどに、古くからいるという。アウルに本当の名前が別にあるように、喪服の少年にも本当の名があるはずだが、それは誰も知らない。
小さな体を漆黒の喪服に包み、プラチナの髪はきっちりと撫で付けてある。頬はいかにも幼い子供特有の柔らかそうな曲線を描いているが、その肌は蝋人形のように血の気がなく真っ白だ。
アウルは基本的にどんな相手にもフレンドリーだが、喪服の少年にだけは例外だった。なぜなら喪服の少年の持つ概念は「死」。「永遠」の概念を持つアウルとは対極の存在であり――つまりは相性最悪で致命的に仲が悪かった。とは言ってもそれは一方的で、みゃあみゃあと怒っているアウルを喪服の少年は歯牙にも掛けない。どう見ても十歳ほどの子供の容姿でありながら、その怜悧さは異様だった。
「こっ、こ、こんにちは」
ウィストールが細い声で挨拶をすると、喪服の少年はやっとガラス玉のような黒の目をこちらに向ける。
「こんにちは。ウィストール」
「あっ、はい、こんにちは」
「ええ、こんにちは」
「ええと……僕らに何か用があるのかな……?」
「あなたにお話があって参りました」
「そっか。散らかっているけど、僕らの家へようこそ。……本当に散らかっているけど。いつもはここまで酷くはないんだよ?」
浮かれまくったパーティーの装飾や、シンクの洗い物の山が恥ずかしくて、つい小さな声で言い訳をした。喪服の少年は室内をちらっと一瞥したが、何も言わなかった。
ウィストールが椅子を薦めると、彼は素直にすとんと座った。アウルは「そこはお誕生日席だぞ……」と恨めしげに睨んでいる。話が進まなそうなので、アウルをうまくのせてお茶の用意を頼んだ。
アウルが見えなくなると、喪服の少年が徐に口を開いた。
「あなたは世界の観測と記録をしていますね」
「うん、まあね」
ありとあらゆる世界の文化や景色を「観測」――つまりコピーを作成し、自らの領域世界に取り込んでゆくという作業は、もうライフワークと化している。世界は天災や人災でときに崩れ去ってしまうこともある。けれどそこに生きていた人々の証、先人たちの積み重ねである文化まで消えてしまうのはあまりにも惜しい。そう思うからこそ、世界を渡り歩き観測と記録をすることで、「世界のバックアップデータ」を取り続けていた。
「死(わたし)はあなたのその活動を好ましく思っています。なので、これは伝えた方が良いのではないかと思いまして」
喪服の少年は口元を笑ませ、両手の指を7本立てた。
「死(わたし)は七日後に、第十二世界のバーネンブルックという街周辺にて、その地域に住む約6割の人間を迎えます」
「そ…、れは……」
ウィストールは思わず顔を険しくする。彼の発言の意味が理解できたからだ。
喪服の少年の概念は「死」。彼自身が死そのものの化身ある。本来は彼の姿を見ただけで死へのカウントダウンが始まる。それは、永遠のプロテクトをかけられているアウルとウィストールを除いて、他の何人たりとも逃れられない絶対的なルールである。
しかし、一概に悪い存在というわけではない。現に、喪服の少年は多くの世界で信仰対象にすらなっている。
死ぬ七日前から毎晩、喪服の少年が夢の中に現れる。そして死にゆく人間に夢の中で今までの人生を振り返らせ、その死を安らかなものにするための心の準備をさせることが役割なのだ。喪服の少年に出会った人間は、今までの人生に思いを馳せ、残された時間を大切な人と過ごしたり、遺言を書いたりするのだ。――喪服の少年は以前、こう言っていた――「死にがいを与える」のだと。
そして、先ほど彼は、地域の約6割の人間をも迎えると言っていた。つまり、大勢の人々が死ぬということだ。
「百七十年前も、君は予告をしてくれたね。あの時は観測を終えた直後にアトライの地域は火山噴火で壊滅した。歴史的な建物も、人も。今回もそうなるの?」
「原因はどうでもよいです。なんであれ、死(わたし)はただ人々の死を安らかにするだけですから。あなたはバーネンブルックを訪れたことは?」
「一度だけ。もうずいぶんと昔のことだよ」
今ではすっかり様変わりしていることだろう。
そこへ、トレーの上にティーセットを載せてアウルが入ってきた。
「ウィズ、お茶が入ったよ。今日はシルハの茶葉さ」
アウルは主人の手前だからか喪服の少年にもカップを配ったが「お前にはシュガーはつけてやらないからな……」と地味な嫌がらせをしている。
「お構いなく。死(わたし)はブラックティーはそのまま派です」
余裕のある返しをした喪服の少年は、カップを手に取り、上品に香りを楽しんだ。
アウルは彼を憎々しげに睨みながら言った。
「あのねえ、僕を追い払ってウィズだけに話していたつもりかもしれないけど、パルヴァヴィーラは僕が所有権を持っている世界だぞ。お前の内緒話なんて筒抜けなんだ。ウィズの心が傷つくような場所へは行かせないよ!」
「――……」
喪服の少年は静かに紅茶に口をつけた。
「お前の入れるブラックティーは良い味わいです」
「ふ、ふうん……? まあ、そうだけど?」
「バーネンブルックは、あなた方が以前訪れた頃よりも喫茶文化が盛んになっています。きっとお前もケーキやお茶を楽しめますよ。観光気分でも良い、あの街の文化を楽しんできなさい。……最後に」
「んぐぅ……」
ウィストールは、覚悟を決めて言った。
「――行くよ、バーネンブルックへ。何が起こるのか知らないけれど、無事なうちに観測を済ませておきたい」
喪服の少年はわずかに頷き、目を閉じた。
「応援していますよ、可愛い子」
喪服の少年は、今ではすっかり魔物として変生を遂げているウィストールさえも「庇護下の人間」のように扱う。ウィストールはもう二千年も生きた老人もいいところな歳なのだが、彼にそういう扱いをされることには違和感もむず痒さもなかった。きっと彼の醸し出す圧倒的な超自然存在としてのオーラのなせる業だろう。
そして、彼の提案には悪意を感じないどころか、むしろこちらへの慈愛のようなものすら感じる。
喪服の少年は、気がついたときには食卓から消えていた。
紅茶のカップは空になっていた。
ウィストールとアウルは、数十分で旅立ちの支度を済ませた。
❧ ❧ ❧
第十二世界のバーネンブルック。そう喪服の少年が呼称したように、世界は無数にある。ウィストールが第一世界のルブリクスという国出身であり、アウルが第十四世界の『夢見る尖塔の都市』出身を自称するように――いわゆる並行世界というものだ。
世界同士は隔絶されており、普段通じ合うことはない。そのため住人たちは自分の住んでいる世界以外に並行世界が存在していることすら認知していない。
しかしウィストールたちは特殊なゲートを通ることで、例外的にあらゆる世界を行き来し、観測をしている。
そのゲートはかつて、ミラがデウス・エクス・マキナという存在から管理権限を奪い取ったものであるが、今はその話は割愛しよう――二千年前、ミラは大きなことをやらかして、いろいろとあったのだ。現在ウィストールたちがそのゲートを使えているのは、ミラから権限を譲り受けたからだ。
ゲートは、ウィストールの領域世界の奥の奥に大切に封印されている。そのため、今回もアウルを連れて自らの領域世界に潜った。
ウィストールの領域世界は、音のない世界だ。 風の凪ぐことすらない、静かな世界。そこには、幾多の世界の残滓ともいえる風景が立ち並んでいる。かつては人々で賑わっていた大通りや市場も、なんだってそこにはあるが、人の気配もなくなったここは、まるで世界の墓場のようだ。そんな領域世界の心臓部に、ウィストールの魔物としての在り方をよく示した大きな図書館がある。異世界へ通じるゲートは、その図書館のさらに地下深くにあった。見上げるほどの大扉の先がそうだ。
この世界の主人であるウィストールが手を掲げると、大扉はひとりでに開いた。
扉の奥には、小宇宙空間が広がっていた。暗闇の中に無数のきらめきが浮いており、まるでプラネタリウムの中に入り込んだかのようだ。きらめいている星々の一つ一つが世界の模型であり、並行世界に通じているワープホールである。
「第十二世界は……これだね」
無数の星の中から、青白く輝いている星を指差す。
アウルは頷くと、きゅっと目を閉じてウィストールに抱きついた。
指先が星に触れた途端、視認できていた景色が急速に後ろへ過ぎ去ってゆく。そして第二世界が内包している景色が次々に通り過ぎてゆく。アウルはこの瞬間が「酔うからダメ」らしく、いつも目を閉じたまま動かない。
すさまじい速度で過ぎ去ってゆく景色の中からバーネンブルックを探すために、かつて訪れた時のバーネンブルックの観測データを空間に放る。そう時間を待たずに、データの一致する場所が見つかった。
目の前に出てきたのは、バーネンブルックの現在の街並み。白い石を切り出して積んだ壁に、色とりどりの屋根を乗せた家々が並ぶ街。
「――あった。じゃあ、行こうか」
「うん」
二人は、その景色の中へと足を踏み入れた。