あるじを失った錦衣衛たち

 

 

 日が昇り始めると同時に、信乃たちは邸第を出発した。

 シュエランを探すのだ。

 

 シュエランが消えてからずっと探させていたカーランと、夜の間に情報をすり合わせたところ、意外なことがわかってきたのだ。

 

「シュエランが消えたのは、僕が殺されかけた晩だ」

 

 カーランはそう言った。

 

「だからこそ、僕を斬りつけた暗殺者の女を引き入れたグルであり、逃げたのだと噂がたった。――だが、それが違うとしたら」

「そのときに、なにかあったのかも。何があったのか……その場にいた人には、いろいろ聞いたんだよね」

「その時は、たまたま人が少なかったんだ。僕はあの晩、シュエランと二人きりで話すのを楽しみにしていた。部屋の外には最低限の警護しかいなかった。警護の者たちは、僕の首が切れていたのを見たとは言うが、その後のことは何も覚えていなかった」

「何も?」

「――おかしな話だよね。でも、何度も確認したが、どうも嘘をついているようには思えないんだ」

「――……暗殺者の女の人は、どうしたの」

「すぐにティエンが殺したよ」

 

 どこかに違和感を感じる。

 ティエンは、とても頭のいい人だ。いくらカーランが危険な目にあって激昂していたとしても、果たして暗殺者の女に雇い主や仲間がいるかどうか、真相を聞き出す前に殺してしまうだろうか。

 

「カーランは、ティエンがその人を殺したのを見たの?」

 

 カーランは驚いたようにこちらを見た。すぐに、思案するように視線を落としながら首を振る。

「ティエンが殺したと言ったから、それを疑ってもいなかったよ。だってティエンが僕に嘘をつくことなんてないから……でも、思えば確かめてみるべきだったか」

 

 カーランが何か思いついたように「ああ」と息をついた。

「ティエンは自分の牢獄を持っている」

「自分の牢獄!?」

「うん。宮廷の地下には、ティエンが独自に管理している牢獄がある。もしもティエンが暗殺者の女を殺していないとすれば、そこに繋ぐはずだ」

 

 

 信乃とカーランは、宮廷の地下深くに降り、ティエンの牢獄に訪れた。本来ティエンに問いただしても良かったのだが、姿が見えなかったので、リェンジェのみを伴って来た。……カーランが後宮女官のリェンジェを頼りにしている理由がよくわからなかったけれど、聡明なカーランのことだから理由はあるのだろう。

 

 ティエンの牢獄は、灯りもなにもない暗闇だった。人は灯りがないといずれ発狂してしまうと聞いたことがある――まだ何も見えてないうちから、陰鬱とした恐ろしさを感じてぞっとした。

 リェンジェが松明を灯すと、石の壁と細い通路があらわになった。先導するリェンジェに着いてゆきながら、カビ臭い通路を進んでゆく。鉄の格子がいくつもあるが、ほとんどは空いている。しかし、ところどころ、身動きもできぬほどに壁に拘束された者たちが見えた。

 

 ――ティエンは、やっぱり二面性がある人だ。いつもの優しさと厳しさを備えた父親のような一面も、こうして気が狂いそうな空間に罪人を繋いでおく一面も、確かにティエンその人なのだ。

 

 恐ろしさと息苦しさで喘いでいると、先の方から聞き覚えのある声が聞こえた。

「ぞろぞろと引き連れて、観光でもしに来たのかい?」

 柔らかく媚を売るような甘い声だ。声の主が牢の中で壁に拘束されているのを見つけて、思わず声をあげた。

「景光! ……ううん、服屋のお兄さん。どうしてここにいるの」

 服屋の店主――ジングァンは「おや」と目を猫のように細めた。

「よく俺を覚えていたね、信乃ちゃん」

 

 カーランが鋭い目をして「知り合い?」と聞いてきたが、首を振る。

「……そっちこそ、どうして私の名前を知ってるの」

「君のことを探している連れが言っていたからね」 

 

 拔依たちと知り合いだったんだ! 前に聞いた時は、「知らない」と即答していたのに。もう、どうしてこの顔と魂をもつ人は、息をするように嘘をつくんだろう!

 

 ジングァンの目は観察するようにすいっとカーランを向き、そしてリェンジェに向くと大きく見開かれた。次の瞬間には、ジングァンは笑い出した。

「驚いた。君はリェンジェか! は、はははは!」

 呼びかけられたリェンジェは無表情で黙っていた。訝しむ信乃とカーランの前で、ジングァンは笑い続けている。

「衣も仮面も着けていないが、君はリェンジェで間違い無いだろう? あっはははは傑作だ!」

「カーラン様。どうか今すぐにこの者を殺す許可を」

 

 二人の会話に戸惑っていたのは私だけでなく、カーランも同じようだった。

「リェンジェ、この男は何者だ?」

 リェンジェは一瞬口ごもったが、尊敬するカーランの問いには答えないわけにはいかないようだった。

 

「――私が先代様にお仕えした錦衣衛であるということは、すでに太傅から聞き及んでおりますね」

「うん」

「えっ、錦衣衛……リェンジェが!」

 リェンジェが錦衣衛だなんて、かっこいい!

 

 目を輝かせる私に、リェンジェは照れ臭さの混じった顔で頷いた。

「この煌呂国が天子をいただいている限り、私どもはどこかにいるでしょう。……この男、ジングァンも元錦衣衛でございます。私どもとともに、先代様をお守りしておりました。確か、この者には同じく錦衣衛の姉もあったはずです」

「ああ、そうだよ、その通り」

 ジングァンの目が刹那の間、鋭くなったが、すぐにいつもの猫のような目に戻る。

「それにしても、君とこんな形で再会するとはね。どこに身を隠したかと思えば、まさか女になっていたとは! よくもそこまで忠義だてできたものだ! 俺ならそんなの嫌だね、もう抱けないなんてさ!」

 

 ――なんだかすごいことを聞いたような気がするが、あまりの情報量に混乱して、頭に入ってこなかった。

 

 リェンジェが額をおさえ、深いため息をついた。

「……その軽口が衰えない程度には息災にしていたようだな。いや、今はほとんど気力だけで生きているようなものか。太傅に直接捕らえられるなど、いったい何をした。錦衣衛の恥さらしめ」 

 

 こちらを探るように黙り込んでいるジングァンの牢へ、カーランが一歩近づいた。

「ジングァン。僕がわかるか」

「ええ、今までの会話で、わかりますとも。あの太傅がリェンジェを直接護衛につけ、あまつさえリェンジェに言うことを聞かせる子供なんて一人しかいません」

「……父から、あなたたち錦衣衛がよく尽くしてくれたと幼い頃に聞いていた。僕もここにいる信乃と同じように、錦衣衛の活躍物語に目を輝かせたうちの一人だ。あなたも父が認めた者ならば、きっと味方になれば信頼の置ける人なのだと思う。どうか我々の質問に答えてほしい。場合によっては、あなたをここから出すことも考えよう」

 

 ジングァンは、しばらくカーランを見つめて黙っていた。しかし、彼はカーランのまっすぐな瞳を信じたのだろう。私たちの求める真相に近いことを語り出した。

「まず、言っておきますが。しばらく前に、あなた様を斬りつけた暗殺者の女。あれは俺の姉です」

「なんだって……」

「後継者争いが酷く、内部で乱れに乱れたでしょう。あの頃、あなたを良く思わない者が、元錦衣衛であった姉に、暗殺を依頼したのですよ」

「断らなかったのだな」

「断れると思いますか。俺たちの不安定な立場で」

 その言葉には、突き放すような怒りがあった。

「姉はここの牢のどこかに、今も繋がれているはずです」

「なぜそう言い切れる」

「ティエンに粛清されかけ、一度はここの牢に繋がれ、のちに追放された道士がおります。その者が、俺の姉をここで見たと言っていたのです。……牢の中の姉を助けるには、俺がここに来るしかなかった。異国人の妙な男と取引をしてここまで連れられたのですが、この有り様ですよ。……どうでしょうか。俺の答えは及第点ですか?」

「まだだ。肝心のお前がここに繋がれている理由にはなっていない。ティエンはお前を何の罪で捕らえたんだ」

 ジングァンは「カーラン様は聡いですねぇ」と唇を舐め、猫のように笑った。

 

「……反逆、でございますよ。俺は新たな主人に雇われ、反乱組織に情報を流しておりました」

 リェンジェが今にもジングァンを殺しそうな勢いで「貴様っ!」と叫んだのを、カーランが止めた。リェンジェは唇を噛み、「ジングァン、お前はつく主人を間違えたな」と吐き捨てた。

「他人からもたらされる情報のみに溺れ、自身の目で確かめなかったのがいけなかったのだ。情報がお前を腐らせた。お前もカーラン様に直接お会いして話していれば、何かを見出せたかもしれぬのに」

「もういい、リェンジェ。この男を出してやってくれ」

 

 リェンジェはまだ何か言いたげだったが、隠し持っていた剣をてこのように使って鉄の牢をこじ開けた。す、すごい力……。

 

 ジングァンを牢から出し、そのまま彼の姉である暗殺者の女を探した。

 

 彼女は、牢の最奥――鉄の門扉の奥にいた。門扉に錠はなかったが、重たそうな扉だった。狭く空気の悪いその部屋の壁には、一人の女性が両手首を繋がれ、項垂れていた。鉄臭い、嫌な匂いがする……。

 

「フォンイェ……」

 彼女をみるなり、ジングァンがふらつく足取りで駆け寄る。

「っ! 待って」

 私はジングァンの服を掴んで引き止めた。

「この人……首が……」

 

 部屋には血の匂いが充満し、異音が響いていた――かひゅう、かひゅうと空気の漏れるような異音は、女性の首元からだ。松明の灯りを近づけてよく見ると、首が横に数センチも裂けていた。血は流れ出していないが、生きているのが不思議なほどだ。

 まともに傷口を見てしまって、吐き気を覚えて口を覆う。顔から血の気が引いていくのを感じた。

「……姉さん、なんだ、この傷……」

 ジングァンが呆然と姉に語りかけるが、彼女は意識も朧なのか、項垂れた首をもたげることもなく無反応だった。

 

 ――これじゃあ、カーラン暗殺未遂の時に起こった出来事を聞き出すのは無理だ。この人にも、いったい何があったというの。

 

 首に傷……カーランの首を斬った張本人の首に、傷?

 

 カーランの様子を伺うと、青ざめてはいたが、必死に考え事をしているように見えた。けれどついに首を振って、「リェンジェ」と呼びかける。

「拘束を解いてやってくれ」

「ですが、カーラン様。この者は命を脅かした大罪人ですよ!」

「うん。この女にされたことを、僕は決して忘れることはない。でも今は信乃の前だ、宮廷の外までは連れ出してやってほしい。でも、その後のことは保証しない。その傷がもとで死のうが、野垂れ死のうが知ったことじゃない。うまく生き延びたとしても、二度と僕の前に姿を現すな」

 

 リェンジェが拘束を解くと、ジングァンが女性を大切そうに抱えた。いつもと違って、悲しくて優しい目で女性を見ていた。彼はそのままカーランに向き直り、深々と頭を下げた。

 

「寛容であるということは、強さの証なのだと古くから言います、カーラン様。……あなたに心からの感謝を」